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声優・歌手の水樹奈々さんが大好き(S.C.NANA NET会員)/声優の八代拓さんを応援しています

かみさまへの感情あれこれ

大好きな奈々さん、結婚おめでとうございます!




……いつかこんな日が来たとき、心から喜んでそう言えると信じて疑わなかった。
私のたった1人のかみさまへ、祝福の言葉以外が出てくるとは予想していなかったので。


以下お気持ち。何度考えてもまとまらない。


青天の霹靂だった。
いやまあ、水樹奈々のオタクなら7/7になにかお知らせがある! くらいのことを常に考えておくべきだとは思うが、考えもしなかった。
公式Twitterのツイート通知で「奈々ちゃんから直筆メッセージが届きました!」と送られてきても、「おっ、今年はツアー中止だし『必ず会おうね!』かな!?」くらいの気持ちだった。
公式Twitterのツイート通知でブログの更新お知らせが来てもまだ気づかなかった。
応援してくださる皆様へ大切なお知らせ。一読して、なんだか飲み込めなくてブラウザを閉じる。
TLが騒ぎ出す。もう一度ブログを開く。入籍しました。

…………???

失礼ながら最初の感想は「やっぱ猫飼うタレントにはパートナーがいるんじゃん!!」だった。
これは先日、親しくしていただいているフォロワーさんの推し男性声優が結婚報告をした際に仲間内で話題になったセオリーである。
猫飼うタレントはパートナーがいる。
思い返せば私がそこそこの期間推していた羽多野渉さんもそうだった……いやそれはともかく。

続いて出てきたのは「マジかよ」だった。
祝福の言葉が出てこない自分のなんと醜いことか!
どの口が水樹奈々さんを好きだと言っている! まあこの口なのだが。

まじかよ、うそでしょ、なんで今?

信仰の対象に向かって不敬な信者もいいとこである。
なんで今? というのは完全に自己都合の話なのだが、週末に人生のそこそこ大事なイベントを控えている身なので心身に負担をかけたくないからであった。
勘弁してくれ。心身への負荷が4年前の比ではない。

心身を襲う絶不調が体に馴染んできてようやく「おめでとう」に辿り着いた。
ブログを見てからここまで、10分かかっている。
人生で指折りの感情ジェットコースターだったことは間違いないだろう。
そのくらい激しいアップダウンだった。

結婚を祝う思いがないのか?
この問いには即答でノーである。めでたいことだと思う。素敵なことだと思う。
でも両手を上げて「おめでとう!!」と笑顔で言えるかというと、それもまたノーだ。

なんで「おめでとう」って言えないの? 好きなんでしょう? ホントにファンならお祝いするでしょ普通。
4年前もこんな空気あったなぁとか思わず懐かしんでしまったが、当時、自分がそのいわゆる普通のファンではないことを学んでしまった身としては、「そうか……同性タレントに対してでもこうなっちゃうのか……」と自分の新たな面を発見したような感じであった。
私は女性で恋愛対象は男性、つまり異性愛者だと自認しているので、まさかまさかこんな気持ちになるだなんて。

世界でいちばん、この世で一番、この宇宙で誰よりも好きな、特別な、たった1人かけがえのない女性が、結婚した。
たった1人、誰よりも特別な、最愛の女性が結婚した。

そもそも感情の機微に非常に疎い人間なので、私が水樹奈々さんに向けているこの感情を恋心として定義するのが正しいのかは正直分からない。
ガバ判定すぎて本当に紛れもなく恋愛感情として彼女を思ってきた人たちに対して失礼かもしれないとさえ思う。
恋心ではなくて単なる執着や同一化かもしれない。
子供の頃から憧れてきたお姉さんが誰かのものになってしまったという意味では、おもちゃを盗られた子供の気持ちのようなものかもしれない。
もっとも、私はもう子供の歳ではないし、水樹奈々さんはおもちゃなんかでは絶対にないが。

推しという言葉が世の中に定着するずっと前から好きだった。
推しとか推すとか推さないとかそういう次元ではなくて、私のかみさまみたいなものだった。
言葉の汎用性から「推し」として表現することも多いが、
基本的には女神様や姫様、奈々ちゃんや奈々さん、
時には信仰の対象として、時には親しみ深い憧れのお姉さんとして、私は私の中の彼女を語ってきた。
この人を好きでいるのは私の当たり前で、私のアイデンティティーのようなもので、
この人に出会わなかった私なんてものが想像つかないくらいに当たり前のことだった。

当然のことながら私が水樹奈々さんのプライベートの部分を知ることはない。
公人・水樹奈々としてファンに見せてくれている部分以外のことは知らないし、
私人・水樹奈々としての彼女を知ることはないし知る必要はない。見せてほしいわけでもない。
タレントとファンはそういうものだ。何の疑問もない。
だいたい、タレント業なんてやってなくても、家族に見せる顔、友達に見せる顔、恋人に見せる顔、職場で見せる顔、全部違うじゃないか。

そう分かっているのに、理解と納得が違うものだから私は管を巻いている。
ずるい。ずるいよ。
私人・水樹奈々を知ることができる存在が、特別な瞬間の水樹奈々を知ることができる存在がこの世にあるなんて、そんなのずるいよ。

水樹奈々さんは私が知る限りこの世で一番のタレントで、この世で一番最高の人物で、同時にこの世で一番最高の女性だ。
その最高の女性のあたたかな日常を共有できる人がいる。なんて羨ましいことだろう。

思い返せば友達の惚気を聞くのが非常に苦手である。
恋人の話をしている友達の姿から、「私の友達」ではないその人の別の姿を想起してしまうのが原因なのだと自己分析しているのだが、
おそらく今回、これと同じことが起きている。

私の知らない水樹奈々さんの存在を知らしめされてしまった気持ち。
当たり前に認識していた、ファンとタレントの境界線の向こう、公人と私人の境界線を改めて認識させられた気持ち。

「私は公人としての水樹奈々さんに惚れ込んでいて私人としての彼女を知ることはないから変わらない」と自認していたのに、100%そうではなかったことを思い知らされた。

大袈裟に言えばアイデンティティークライシスに該当するのだろうか。
私が認識してきた「水樹奈々さんを好きな自分」が揺れている。
彼女に憧れる気持ちも好きな気持ちも全然消えていないのに、居場所を見失って途方にくれている。

単に結婚発表だけでもそれなりにダメージを受けたとは思うが、
さらに困ったことに、この結婚発表に至って尚、水樹奈々さんは完璧なのである。

週刊誌にゴシップ記事として掲載されるわけでもなく。
既婚バレでもなく。
実は子持ちでしたでもなく。
ファンが騒ぐからプライベートとは切り放して…でもなく。
(誤解なきよう述べるが、同日に既婚を公表された方を揶揄する意図は一切ない。4年前の元推しの態度を揶揄する意図のみである)

ライブの中で、サプライズ発表するわけでもなく。

正々堂々と、ファンクラブ会員に向けて直筆で。
タレントたる自分に注がれる愛を受け止めて、苦境を憂い、1日でも早くみんなに会いたいと、そう綴ってくれたのだ。

こんな完璧な、完璧すぎるほど完璧なファン想いの結婚発表、初めて見た。

こんな完璧に、ファンとして愛してもらえて、私はなんて幸せなのだろう。
こんなに大事にしてくれるなんて、私はなんて素晴らしいタレントのファンなのだろう。

でも同時に、少しもがっかりさせてくれなくてつらいのだ。
浮かれきって「主人と二人三脚で頑張ります」とか書かれようものなら、
なんだ結局私が崇め奉りすぎただけで普通に女じゃんとか言えたのに。

全然まったく変わらないのだ。
私が大好きな水樹奈々さんのままで何一つ変わらないのだ。
こうあってほしい理想を、彼女はたったの1度も裏切らないのだ。
奈々ちゃんが普通の女になって私の理想から下りてしまった、みたいに、
誰かのせいにさせてくれなくて、自分で自分の感情と向き合うしかなくてつらいのだ。

お気持ちが迸るばかりで全然感情がまとまらない。
今すぐライブの開催が発表されたとしてもチケットを取る気が起こるとは思えない。
だいたいオタクが妄想してるLIVE WEDDINGってなんだよ。オタクのくせになに参列者気取ってんだ。

仲のいい奈々オタクたちはみんなどんどん自分の感情に答えを出していて焦りも出てくる。
みんな早いよ。置いてかないでよ。

焦るばかりで着地点が見つからない。
心からのおめでとうが言えない。
最前線を走り続ける彼女が心安らげる場所を手にいれたことが嬉しいしほっとする。
世界一好きな女性が結婚してしまった喪失感。
そのほかにもいろんな感情がごちゃまぜで、本当のところどう思っているのかさっぱり分からない。

さっぱり分からない中で、ただ2つだけ確かな感情がある。

今までずっと幸せにしてくれた奈々さんに、オタクである私から、なにか恩返しはできないだろうか。
何ができるわけでもないけど、それでもなにか、あの人の愛情に報いることはできないだろうか。

そして何よりも。
いつも奈々さんが幸せでありますように、願うばかり。
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