絶対的幸福論 水樹奈々 2019年01月30日 水樹奈々の珠玉のバラード、『絶対的幸福論』。先日開催された3度目のフルオーケストラライブ、NANA MIZUKI LIVE GRACE -OPUS 3-の2日目、ダブルアンコールではバイオリンの独奏と共に披露された曲。収録されているのは2016年発売の12枚目のフルアルバム『NEOGENE CREATION』だ。プロポーズを思わせる歌詞と泣けるメロディ、いわゆる結婚ソングに分類できるこの曲が、私は嫌いだった。 2016年の夏に、当時応援していた声優の既婚スキャンダルが発覚した。子ども連れの姿が週刊誌に掲載され、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組にて騒動について謝罪。ざっくり言うと「作品や番組と関係のないことを話さないようにした結果、プライベートについて話してこないでいたらこんなことになった、心配をかけてしまって申し訳ない」とのことだったと思う。スタッフの結婚だの失恋だのは面白おかしく取り上げておいて「番組に関係のないことを話さないように」も何もないだろうとか、私が動向を見守っていた間にたったの一度も「自分は既婚者であの写真の子どもは自分の子どもである」というような明確な事実認定もされなかったことについてもまあいろいろ思うところはあるのだが、その辺は関係がないので省略する。とにかく当時の私は、このスキャンダルがとても悲しくて、腹立たしくて、情けなかった。「本当のファンなら祝福すべき」「ご結婚おめでとうございます、お幸せに!」……当時見かけた祝福ツイートの数々、『本当のファン』という曖昧な定義の奔流の中で、その大多数と同じように明るく「結婚されてたんですね、おめでとうございます」と言えない自分が恥ずかしかった。それなりの年月応援してきたのに、全然気づかなかった自分の鈍感さ、無知蒙昧さが情けなかった。「自分が『プライベートを話さない』という選択をしてきたことを、他人のせいにするな」と強く思ったのを覚えている。責任転嫁する先がそのお世話になっている番組であることも、「皆さんに楽しんでもらうために」というニュアンスでファンに責任転嫁されたことも悲しかった。なにより、「こんな時にファンや番組に責任転嫁するような人のファンだったこと」が情けなかった。そんないろんな気持ちが重なって、私は「結婚」というものへのポジティブな印象を失っていた。もちろんそれ自体は祝福されることだ。結婚して、子どもができて、未来にいろんなものを繋げていく。それは祝福されるべきことであって謗られることではない。なのに私はおめでとうすら言えずいた。このタレントにとって、責任転嫁したいほどファンは憎むべき対象なのかと思ったし、「幸せな結婚後の生活」を脅かす対象だったのかと、それまでの自分の応援の仕方がどれほど悪かったのかと考えもした。絶対的幸福論が発表されたのは、そんな頃だった。素敵な曲だと思った。だけど好きになれなかったし、聞きたくなかった。応援していた対象の結婚をポジティブに受け止められなかった私を責められている気がした。発売してからしばらく、私はこの曲だけは飛ばしてアルバムを聞いていた。考えが変わったのがいつだったのかはもう覚えていない。アルバムが発売してから2,3ヶ月は経っていたと思う。声優業界は結婚ラッシュで、名の知れている人たちの結婚報告がネットニュース等に取り上げられるようになった。「声優である前に一人の人間なんだから、結婚も恋愛も自由であるべき、本当のファンなら祝福するもの」というニュアンスの意見もよく見た。そのたびに、「こっちだってファンである前に一人の人間なのに、何か思うことすら許されないんだろうか」と思った。そうまでして自分の何もかもを捧げなければファンでいられないんだろうか。自分の意見なんて持たないで、推しがやることなすことは絶対正義。本当にそれでいいんだろうか?私はどうしても、推しに全てを捧げることはできなかった。この人にあれをしてほしいこれをしてほしい、こういうのが見たい聞きたい。それなりに欲はいろいろあるほうだ。素晴らしいタレントがたくさんいる中で自分はこの人を選んでいるのだから、それに見合うだけの楽しみがほしい。チケット代の分だけ、かけた交通費の分だけ、注いだ情熱の分だけ、楽しい思いをして帰りたい。オタクとして、幸せな思いをしたい。素晴らしいパフォーマンスを見せてもらうこと。ステージからレスポンスをもらうこと。推しの名前をいろんな場所で見られるようになること。活動の幅が広がって、今まで推しを知らなかった人にもその名前を認識してもらえること。何か1つ叶うだけで私は幸せだった。水樹奈々さんの素晴らしいパフォーマンスを見せてもらうと胸がドキドキした。ライブの時に前方席だったりトロッコのすぐそばだったりして、目が合うと嬉しかった。ミュージカルへの挑戦で、それまで名前も知らなかっただろう人たちに水樹奈々さんの名前が届いただけでも嬉しかった。奈々さんを追いかけている間に、たくさんたくさん、幸せなオタクにしてもらった。恩返しがしたいと思うのは自然なことだったと思う。悲しさと情けなさでどうしようもない日々から救われた思いだった。いろんな感情に奈々さんの歌は寄り添ってくれた。負の感情でさえ否定しない歌だった。悔しくて泣いても、それでもいいよと言ってくれるみたいだった。水樹奈々さんを好きでいて、オタクとしてとても幸せだと思った。だから、何か1つでいいから恩返しがしたいと思った。オタクが推しに出来ることなんて限られている。出演作を見る、パッケージ化したら購入する、配信なら再生回数を伸ばして、ラジオを聞いてメールを送る。与えてくれることにレスポンスを見せるしかない。その結果、出演作が長期作品になったり、起用される回数が増えたりすれば、タレントにとって嬉しい話だろうし、応援しているこちらとしてもたくさんの場所で好きな人を見られるのだから嬉しい話だ。推しが幸せになって、自分も幸せになれる。そう思うようになって、絶対的幸福論は私のオタクとしての誓いの歌になった。推しを幸せにしてあげたい。推しに幸せにされたい。できるだけ長い間ずっと、推しの活動を見守って応援したい。できるだけ長い間ずっと、推しに大切に思われるオタクでいたい。自分の意見を持って好きを語れるカッコいいオタクになりたい。時には自分と好みが合わないようなものが出てきても、「そういう時もあるよね」と言える優しいオタクになりたい。推しとオタクの間に、相思相愛の関係を長く結びたい。絶対的幸福論を聞くたびその思いは募った。『してあげたい』なんて単なるエゴだ。オタクの振る舞いで推しが幸せを感じてくれるなんて奇跡に近い。ほぼありえないかもしれない。だけどエゴでいいと思った。何にもできないけど、奈々さんの幸せの一部になれたらいいと思った。紆余曲折あり、奈々さん以外のタレントのことも追いかけてはいるが、そのタレントすべてに対して私は強くそう思う。いつか決定的に合わなくなって追わなくなる日がくるまで、愛し愛される推しとオタクであること。それが、私の絶対的幸福論になった。LIVE GRACE -OPUS 3-の最後、ダブルアンコールのMCで、奈々さんは支えてくれるスタッフのみなさん、オーケストラのみなさん、チェリーボーイズ、一緒に盛り上がってくれた観客、会場に来られなかったファンたち、すべてに感謝を述べた。「みなさんのことを思って歌います」それが単なるリップサービスである可能性自体は否定できない。それでも、彼女は「みんなを思っている」という態度を示してくれた。ファンが彼女を愛するように、彼女もまたファンを愛していると歌ってくれた。『幸せになりたい 幸せにしてあげたい』。繰り返しになるが、「相手に何かをしてあげたい」というのはエゴだ。自分がすることで相手が幸せになるとは限らない。たまたま、観客が水樹奈々のファンだから、彼女が歌えば幸せになるだけのことだ。幸せになりたい。幸せにしてあげたい。歌いたいという強烈なエゴで、彼女はファンを幸せにする。あなたの歌が聞きたいという強烈なエゴを受けて、彼女は幸せそうに笑う。私はようやく、大好きな人を幸せにしてあげることができたと思えた。絶対的幸福論を聞くたび、きっと私はこの日の公演を思い出すだろう。誰より大好きなあの人がファンの愛に応えてくれた時の、大好きな一曲として。 PR